うちは浄土真宗——南島原のお盆で読まれる「正信偈」と「阿弥陀経」には、どんな意味があるのか、ひとつずつほどいていきます。
お盆の時期、お坊さんが檀家の家を一軒ずつまわり、精霊棚や仏壇の前でお経を読んでいく。これは棚経(たなぎょう)と呼ばれる古くからの習わしで、島原半島全域で今も広く行われています。一軒あたり10〜15分ほど、家族が正座して手を合わせるあの時間がそれにあたります。
島原地方のお盆といえば、精霊船を担いで送り出す「精霊流し」もよく知られていますが、棚経は各家庭の中で静かに行われる、もうひとつのお盆の中心行事です。
南島原市内のお寺を宗派別に見ると、浄土真宗(本願寺派・大谷派)が最も多く、全体のおよそ4割を占めます。
南島原市内の掲載寺院29カ寺をもとにした概算比率。実際の檀家数の比率とは異なります。
これは歴史とも無関係ではありません。島原・天草一揆(1637〜38年)の後、幕府と藩は地域の立て直しと徹底したキリシタン根絶のため、各地から農民を移住させ、寺請制度のもとで浄土真宗を中心とする仏教への帰依を強く進めました。今の南島原に浄土真宗のお寺が多いのは、その歴史の名残だといわれています。うちのお盆に来るお坊さんが読むお経も、この系統に連なるものです。
南島原の寺院一覧で「浄土真宗 本願寺派」「真宗大谷派」と分けていたのには理由があります。浄土真宗はもともと一つの宗派でしたが、江戸時代初め(1602年)に本願寺派(西本願寺)と真宗大谷派(東本願寺)に分かれました。当時、力を持ちすぎていた浄土真宗の勢いを削ぐため、徳川家康が分裂を後押ししたともいわれています。
| 本願寺派(西) | 真宗大谷派(東) | |
|---|---|---|
| 本山 | 西本願寺(京都) | 東本願寺(京都) |
| 焼香の回数 | 1回 | 2回 |
| 仏壇の柱 | 金箔張り | 黒漆塗り |
違うのは本山と、焼香の回数・仏壇の様式といった作法の細部だけです。教義そのものは同じで、宗祖はどちらも親鸞聖人。正信偈や阿弥陀経を読み、南無阿弥陀仏の教えを大切にする点も共通しています。南島原市内では専念寺(有家町)だけが真宗大谷派で、他の浄土真宗のお寺はすべて本願寺派でした。
正式には「正信念仏偈」。浄土真宗を開いた親鸞聖人が、教えの核心を840字・120行の漢詩にまとめたものです。厳密には「お経」ではなく、親鸞聖人自身の著作『教行信証』の一節ですが、日々のお勤めやお盆の場でもっとも多く読まれる、いわば浄土真宗の要となる偈文です。
内容を一言でいえば、「阿弥陀仏という仏が、すべての人を分け隔てなく救うと誓った」ことを、七人の高僧の言葉を引きながら讃えたものです。浄土真宗では、亡くなった人はすでに阿弥陀仏の力によって浄土に生まれ、仏になっているとされます。だからこそお盆のお勤めも「霊を呼び戻す」ためではなく、その救いに改めて感謝し、喜ぶための時間として営まれます。
正信偈とあわせて読まれることが多いお経です。お釈迦さまが弟子の舎利弗(しゃりほつ)に向けて、阿弥陀仏の浄土(極楽)がどれほど美しく、そこに生まれることがどれほど確かな救いであるかを説く、という構成になっています。
難しい漢語が続きますが、伝えている中身はシンプルで、「阿弥陀仏の浄土は実在し、そこへ往くことは約束されている」という安心を、繰り返し・具体的に語りかけている経典です。
正信偈にも阿弥陀経にも繰り返し出てくる「南無阿弥陀仏」は、念仏のもっとも短いかたちです。「南無」はインドの言葉「ナモ」の音写で、「おまかせします」「帰依します」という意味。「阿弥陀仏」と合わせると、「阿弥陀という仏に、すべてをおまかせします」という一言になります。
他の宗派で念仏や読経が「自分の力で修行し、悟りに近づくための行い」であるのに対し、浄土真宗では逆に、すでに阿弥陀仏によって救われていることへの感謝の言葉として口にされます。棚経の最後にお坊さんと一緒に手を合わせて「なむあみだぶつ」と称えるのは、この教えの実践そのものです。
南島原市の寺院一覧と、長崎県全体の宗派分布マップは、別ページにまとめました。香典や御目覚まし、葬儀の基本的な流れも別ページで解説しています。