Reading — 読書マップ

読んだものを、つなぎ直すREADING MAP

本を一冊ずつ棚に並べても、知識は増えない。ここでは本から概念を取り出し、本と本のあいだ、本と自分の問いのあいだに線を引いていきます。増えていくのは冊数ではなく、線のほうです。

Rule · 00

このマップが守ろうとしているルール

最初の一冊であるフロム『生きるということ』が、そのままこのページの設計指針になりました。フロムは読書にも二つの様式があると書いています。持つ様式の読書は、あらすじと要点を手に入れて終わる。情報は増えるが、読んだ人は読む前と同じままです。在る様式の読書は、著者と言い合いながら読むので、読み終えたときに自分のほうが変わっている。

読書記録は、放っておくと前者になります。読んだ冊数と要約という「所有物」が増えるだけのリストは、まさに蓄積です。だからこのマップでは、記録する項目をこう決めました。

一、要約は書かない。

著者が言ったことではなく、自分の中で動いたところだけを書く。動かなかった本は、動かなかったと書く。

二、必ず、他のどこかに線を引く。

別の本、自分の生活、進行中の仕事。どこにもつながらない知見は、まだ自分のものになっていない。

三、都合の悪い線こそ引く。

自分のやり方を否定してくる概念を見つけたら、それを最優先で残す。気持ちよく肯定してくれる本ばかり並んだら、それは失敗している合図。

Map · 01

概念のつながり

本から取り出した概念(白)と、自分が抱えている問い(黒)を並べています。触ると、その概念につながっている線だけが残ります。

本から取り出した概念と自分の問いのつながりを示したマップ

Tap a node — ノードに触れると解説が出ます

概念を選んでください

13 concepts · 3 books

白いノードは本から取り出した概念、黒いノードは自分がいま抱えている問いです。線は「その概念が、この問いに触ってくる」という関係を表しています。

Books · 02

読んだ本

  • 03

    幸福と人生の意味の哲学

    山口尚 (2019) · トランスビュー — 副題「なぜ私たちは生きていかねばならないのか」

    中心にある問い

    苦痛に満ちた世界で、なぜ人は生きていかねばならないのか。

    取り出したもの

    パスカル、カント、ウィトゲンシュタイン、トルストイ、カミュを手がかりに、幸福と人生の意味を正面から問う本です。ここは正直に書きます。自分がいま取り出せているのは一点だけで、過去を信じることが幸せの道である、ということでした。本全体の議論を自分の言葉で言い直せる段階にまだありません。読み直してから書き足します。

    このページのルール上、書けないことを書けたことにしないほうが、あとで自分が困りません。

    自分に引いた線

    過去は変えられません。でも過去の意味は、現在が決めています。浪人した一年を「生きている価値がない証拠」として数え続けるのか、別の意味を持たせるのかは、過去の側では決まっていない。

    そしてこれは、02『幸せになる勇気』の目的論と同じ方向を向いています。アドラーは原因論を否定する。過去が現在を決めているのではなく、いまの自分が過去にどの意味を持たせるかを選んでいる。二冊目と三冊目が、ここで重なりました。

    さらに01『生きるということ』から見ると、こう言い直せます。「価値がない」という過去の判定を、所有物として持ち続けている状態がある。手放せないのは、それが自分の一部として登録されてしまっているから。だとすれば過去を信じるとは、その判定を持つのをやめて、意味づけを現在の活動の側に移すことです。

    三冊が、別々の入口から同じ場所を指しています。自分の価値を、手元にあるものの合計で計算するのをやめる。それだけのことを、三人が三通りの言い方でやっている。

  • 02

    幸せになる勇気

    岸見一郎 / 古賀史健 (2016) · ダイヤモンド社 — 『嫌われる勇気』続編

    中心にある問い

    誰かを助けたいという気持ちは、どこまでが相手のためで、どこからが自分のためか。

    取り出したもの

    アドラー心理学において、教育の目標は自立であり、教育とは介入ではなく援助である、というのが本書の柱です。そこから逆算すると、援助の良し悪しは「どれだけ手厚くしたか」ではなく「相手が自分を必要としなくなる方向に働いたか」で測られることになります。

    その反対側に置かれるのがメサイア・コンプレックスです。他者を救うことによって自分が救われようとする構え。本書はこれを承認欲求の変奏として扱います。厄介なのは、これが善行の顔をして現れることです。相手を対等な存在ではなく「救われるべき側」に置いた瞬間、自分は相手の弱さを必要としはじめる。すると、目標である自立と、自分の欲求とが、正面から逆を向く。

    対案として置かれているのが尊敬で、本書はその定義をフロムから借りています。相手を、自分の都合で変えるべき対象としてではなく、その人がその人であるままの姿で見ること。ここで二冊が勝手につながりました。フロムの在る様式と、アドラーの貢献感は、ほとんど同じ方向を指しています。

    自分に引いた線

    読みながら、自分はこれではないか、と思いました。無料で勉強できる場所を集めた地図、無料の数学マップ、家庭教師。振り返ると、取らない側に立つ選択を何度もしています。

    ただ、この本を読んで分かったのは、行為の側からは判定できないということでした。同じ「取らない」が、貢献感からも救世主願望からも出てくる。両者を分けるのは動機の高潔さではなく、たった一つの場面です。相手が自分を必要としなくなったとき、嬉しいか、寂しいか。生徒が自分なしで解けるようになった瞬間に何を感じるか。そこにしか答えは出ません。

    そしてここが、フロムの禁欲とまったく同じ形をしている。取らないことを自分の看板にした瞬間、それは新しい所有物になる。「持たない」を誇りとして所有するのと、「救う側にいる」を誇りとして所有するのは、同じ構造です。一冊目で見つけた罠が、別の入口から同じ場所に出てきました。

    最後にもう一つ。診断名を貼って終わらせないこと。アドラーは原因論ではなく目的論です。「自分はメサイア・コンプレックスだから助けている」と言い切った時点で、それは過去のせいにする話になり、しかも「自覚している自分」という新しい所有物が手に入ってしまう。問いの形はこうであるべきです。いま自分は、何の目的で、この助け方を選んでいるのか。

  • 01

    生きるということ

    Erich Fromm — To Have or To Be? (1976) / 佐野哲郎 訳 · 紀伊國屋書店

    中心にある問い

    自分は、持っているものの合計なのか。それとも、していることそのものなのか。

    取り出したもの

    フロムは、人の生き方には持つ様式在る様式の二つがあると言います。持つ様式では、自分が何者かは所有物で決まる。財産、地位、知識、さらには恋人や信念までが「私のもの」として数え上げられ、失うことは自分が減ることを意味します。在る様式では、自分は所有ではなく活動のほうにある。与えること、関わること、変わっていくこと。減るという概念が、そもそも成り立ちません。

    この対比が面白いのは、それが性格にまで固まるという指摘があるからです。溜め込み、几帳面さ、秩序への執着、手放すことへの抵抗。フロイトが肛門愛的性格と呼んだこの型を、フロムは持つ様式が人格に凝固した姿として読み直します。フロイトはそれを成熟に達しなかった人の性格と見ましたが、フロムはさらに一歩進んで、産業社会ではその未成熟のほうが多数派であり、勤勉さや堅実さの名で「正常」とされていると指摘します。つまり、社会全体が未成熟のまま釣り合っている。

    最も効いたのは禁欲をめぐるくだりでした。持たないことを選ぶ人は、一見すると持つ様式の外にいるように見えます。しかしフロムは、所有を強く禁じる態度の裏に、抑圧された所有欲が張りついている場合があると言う。「持たない」ことを誇りとして所有してしまえば、関心は依然として所有に釘づけのままで、様式としては何も変わっていない。持つ様式は、否定した程度では抜け出せないということです。

    自分に引いた線

    自分が長くやってきたのは、知識の構造化です。実習で得たことを Notion や Obsidian に入れ、リンクでつなぎ、あとから辿れる形にして残す。数学の全範囲を依存関係で組み直したのも、勉強できる場所を地図に集めたのも、同じ手つきでした。これは間違いなく自分の強みです。

    だからこそ、この本は都合が悪い。ノートが増えることと、自分が変わることは、まったく別だからです。整理された知識は持ちやすい。リンクが増え、構造が美しくなり、それを眺めて安心する。これは蓄積的性格の一番きれいな出方であって、勤勉さの顔をしています。「まだ整理が終わっていないから」と言って動かないとき、自分は在る様式から逃げている。

    結論として構造化をやめる、とはならないと思います。フロムの言う二つの様式は、道具ではなく関わり方の話だからです。同じ Obsidian でも、溜めるために開けば持つ様式、目の前の患者や生徒に対して何かが変わるために開けば在る様式になる。だから判定基準はひとつでいい。そのノートは、誰かとの関係を変えたか。変えていないなら、それはまだ所有物です。

Queue · 03

次に読むもの

読む前に「なぜこれなのか」を書いておくと、読み終えたときに答え合わせができます。ここが埋まっていない本は、まだ読む理由がない本です。

  • エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』 『生きるということ』で出てきた「社会全体が未成熟のまま正常とされている」という話の、もう一つの側面を見たい。
  • ヴィクトール・フランクル『夜と霧』 すべてを奪われてなお残るものがあるとしたら、それは持つ様式では説明がつかない。在る様式の極限として読めるはず。

ここで取り出した概念は、そのつど自分のやり方に当てて読み直しています。