Works

Route4 の後輩へ

スイングってなに?

「もっとスイングして」と言われても、何を変えればいいのか分かりにくい。
スイングの正体を、音の実験と、ジャズの歴史の地図でたどります。

2026年10月26日 / 音源と楽譜は載せていません。「聴く」は外部サイトへのリンクです。
関連:グルーヴはどこから生まれる?

スイングは「リズムの感じ」のこと

音を拍のどこで出し、どこを強くするか。その積み重ねで生まれる「前へ進む感じ」がスイング。部活の「スイングして」も、この意味。

「スイング時代」「スイングの曲」という言い方もありますが、これはこのリズムで踊るビッグバンドが大流行した1935年ごろ〜40年代半ばを、そのリズムの名前で呼んだもの。もとはリズムの話です。

根拠
  • ブリタニカ百科事典は、スイングを「ジャズのリズムの勢い」と「1935年ごろから40年代半ばのジャズの様式」の両方だと説明している。12〜16人ほどの編成で、書かれた編曲を使い、ジャズとして初めて商業的に大成功した[1]

スイングのリズムで起きている4つのこと

18分音符が「長・短」になる

よく「3連符の1つ目と3つ目」と言われる(長:短=2:1)。でも実際はテンポで変わる。遅い曲ほど強く跳ね、速い曲ほど均等に近づく。

根拠
  • 有名なジャズ・ドラマーのライドを測ると、テンポが速いほど長:短の比が小さくなった。ふつうのテンポでは、ドラムは3連より強く、ソロの奏者は3連より弱く跳ね、ソロの奏者は表拍で少し遅れて裏拍でドラムとそろっていた[2]
  • 中〜速いテンポでは、短い方の音はおよそ0.1秒でほぼ一定[3]

下で音を鳴らして確かめられます。

ライド・シンバル、ハイハット、ベースをブラウザで合成して鳴らします(録音ではありません)。
2.00 : 1

2 : 1 は3連符と同じ長さです。

♩ = 140
ベース
ライドと同時

24つの拍をそろえて刻む(4ビート)

1920年代は、チューバが1・3拍だけを吹く2ビートが多かった。コントラバスに替わると、4拍すべてを同じ重さで刻む4ビートが広まった。上の実験で切り替えると、進む感じが変わる。

根拠
  • チューバからコントラバスへの交代で4ビートが広まった。ただし時期や順番は資料で違う[4][5]
  • ウォルター・ペイジは、4拍を均等に弾く「ウォーキング・ベース」を早くから弾いた一人[6]

32拍目と4拍目

ドラムは、足で閉じるハイハットを2・4拍に鳴らす。ベースが4拍を支えるので、ドラムはシンバルで軽く流れを作れるようになった。

根拠
  • ベイシー楽団のジョー・ジョーンズは、拍を刻む役をバスドラムからハイハットへ移した[7]

4セクションの掛け合いとリフ

サックスと金管が交互に呼びかけ合う。短いフレーズ(リフ)を繰り返して重ねる。ビッグバンドらしさの中心。

根拠
  • ヘンダーソン楽団の編曲者ドン・レッドマンの書き方が、1930年代のスイングの楽団の特徴になった[8]
  • カンザスシティのベイシー楽団は、ソロの後ろでリフを重ねる演奏で知られた[9]

ベースは拍の「ちょっと前」?

Route4 では代々「ベースはドラムに被せるように、若干前で」と言われてきた。ただ、数十ミリ秒の前後は、聴いてもはっきりとは分からない大きさ。上の「ベースの位置」で、前・同時・後ろを聴き比べてみよう。くわしくはグルーヴはどこから生まれる?へ。

根拠
  • 30ミリ秒くらいまでの差は、多くの人がどちらが前かを安定しては聴き分けられなかった[54]
  • それでも、ずれの大きさで聴く人の体の動き方は変わった[55]

「スイングしていない」と言われるときは、1の跳ね方だけでなく、2〜4のどれかがずれていることも多い(書き手の考え)。

リズム隊の歴史

スイングのノリを支えるリズム隊は、1920年代から40年代のあいだに、楽器も役割も大きく変わりました。

ベース

  1. 1920年代低音はチューバ(スーザフォン)が多く、1・3拍を吹く「2ビート」[4][5]
  2. 1927〜エリントン楽団のウェルマン・ブロードがコントラバスで弾く。ほかの楽団もチューバからコントラバスへ[56]
  3. 1925〜ウォルター・ペイジが、4拍を均等に歩く「ウォーキング・ベース」を広める[6]
  4. 1939〜41ジミー・ブラントンが、ベースでソロを弾く[57][88]
  5. 1952〜53モンク・モンゴメリーがハンプトン楽団でエレキベース(1951年発売のフェンダー・プレシジョン)を弾く[58]

ギター

  1. 1920年代リズムはバンジョーが多かった。20年代の終わりには、バンジョー奏者の多くがギターも弾くようになる(入れ替わりの時期ははっきりしない)[5][89]
  2. 1936ギブソンがエレキギター ES-150 を発売[59]
  3. 1937〜フレディ・グリーンがベイシー楽団で、4拍をコードで刻む[36]
  4. 1939〜チャーリー・クリスチャンが、エレキギターで管楽器のようにソロを弾く[60]

ドラム

  1. 1920年代足でシンバルを閉じる「ローボーイ」が現れ、のちに高くなってハイハットになる[61]
  2. 1930年代ジョー・ジョーンズが、拍を刻む役をバスドラムからハイハットへ移す[7]
  3. 1937ジーン・クルーパの「シング・シング・シング」。商業録音された最初の長いドラム・ソロとされる[53]
  4. 1939ごろ〜ケニー・クラークが、ライド・シンバルで刻み、バスドラムはアクセントに使う。ビバップのドラムへ[62]

→ ベースの話はグルーヴはどこから生まれる?でも扱っています。

時代の背景

レコードが売れない(大恐慌)

1929年からの大恐慌[86]で、アメリカのレコードの売り上げは激減しました(1927年の約1億枚から1932年の約600万枚、という数字もありますが、資料によって違います)。代わりに広まったのが、家で無料で聴けるラジオでした[73]。1933年に禁酒法が終わると、人がバーやクラブに戻り、ジュークボックスでレコードがかかるようになります[85][90]。

ラジオで全国へ

1934年12月から、NBC のラジオ番組「レッツ・ダンス」でグッドマン楽団などが毎週放送されました。ヘンダーソンの編曲もこの番組のために書かれています[71]。エリントンのコットン・クラブ中継[24]、ベイシーのリノ・クラブ中継[9]も、ラジオで広まりました。

踊る場所

スイングは踊るための音楽でした。ハーレムのサヴォイ・ボールルーム(1926〜1958)では黒人も白人も同じフロアで踊り、リンディ・ホップが広まりました[72]。

人種の壁

グッドマンは1935年にピアノのテディ・ウィルソン、1936年にヴィブラフォンのライオネル・ハンプトンを小編成に迎え、人種の違うメンバーで人前に出ました。こうしたグループの早い例とされます[66]。一方、アーティ・ショウの楽団に入ったビリー・ホリデイは、巡業先の差別もあって数か月で去りました[65]。

戦争

1941年末にアメリカが参戦すると[91]、徴兵で楽団の人手が減り、1942〜44年には録音が止まり[50]、1944年にはダンスのできる店に重い税がかかりました[74][75]。大編成で踊る時代は、40年代半ばに終わっていきます。

もっと読む(海外の本と映像)
  • Gunther Schuller『Early Jazz』(1968)と『The Swing Era』(1989)。楽譜と録音を細かく分析した2冊[81][82]
  • David Stowe『Swing Changes』(1994)。人種、政治、女性の役割から見たスイング[83]
  • Lewis Erenberg『Swingin' the Dream』(1998)。スイングの始まりから終わりまでを社会の歴史として[84]
  • Scott DeVeaux『The Birth of Bebop』(1997)。スイングからビバップへの移り変わりを、仕事と経済から[75]
  • ケン・バーンズ監督のドキュメンタリー『JAZZ』(PBS、2001)[87]

地図:スイングの部品はどこから来たか

横が年(1895〜1947年)、縦が流れです。点を押すと説明が出て、線でつながった相手が光ります。上の「部品」を押すと、その部品に関わる点だけが残ります。

1920年より前と1943年より後は詰めて描いています。上の帯は時代の背景です。スマートフォンでは地図を横にスクロールできます。同じ内容を下に年代順で載せています。

点を押すと、ここに短い説明が出ます。

年代順に読む

34件

  1. 1899

    スコット・ジョプリン「メイプル・リーフ・ラグ」

    ミズーリ州セダリア
    シンコペーション

    拍の上でアクセントをずらす考え方

    くわしく

    事実セダリアの出版社ジョン・スタークが1899年に楽譜を出版し、同年9月18日に著作権が登録されました[10][11]。ラグタイムはピアノのために書かれた音楽で、左手が拍を規則正しく刻み、右手が拍からずれたところにアクセントを置きます(シンコペーション)。

    見立て左手の規則正しい刻みと、右手のずれを分けて聴くと、「土台はそのまま、上でずらす」という仕組みがつかみやすい。

    出典:[10] [11]

  2. 1912 / 1914

    W・C・ハンディ「メンフィス・ブルース」「セントルイス・ブルース」

    メンフィス
    ブルース

    12小節の形と、ブルースの音づかい

    くわしく

    事実ハンディは1912年に「メンフィス・ブルース」、1914年に「セントルイス・ブルース」を出版し、「ブルースの父」と呼ばれます。「セントルイス・ブルース」は1925年にベッシー・スミスがルイ・アームストロングと録音しています[12]。

    見立てビッグバンドの曲にもブルースの形でできたものが多い(下の「ワン・オクロック・ジャンプ」など)。12小節で一回りする感覚は、ここから来ている。

    出典:[12]

  3. 1917年2月26日

    オリジナル・ディキシーランド・ジャス・バンドの録音

    ニューヨーク(ビクター)
    広まり方

    レコードで、ニューオーリンズの音楽が遠くまで届き始める

    くわしく

    事実ニューオーリンズ出身の白人5人のバンドが、ニューヨークのビクターで「リヴァリー・ステイブル・ブルース」などを録音しました。最初に発売されたジャズのレコードとされますが、何を「最初のジャズ録音」とするかには議論があります[13][14]。

    出典:[13] [14]

  4. 1923年4月

    キング・オリヴァーのクレオール・ジャズ・バンド「ディッパーマウス・ブルース」

    シカゴの楽団/録音はインディアナ州リッチモンド
    ソロ

    複数の管楽器が同時に即興で絡む、ニューオーリンズの合奏

    くわしく

    事実シカゴで人気だったオリヴァーの楽団は、1923年4月にジェネット社で録音しました。「ディッパーマウス・ブルース」(4月6日)では、21歳のルイ・アームストロングが2番目のコルネットを吹いています[15][16]。アームストロングは前年の1922年に、オリヴァーに呼ばれてニューオーリンズからシカゴへ移っていました[17]。

    見立てメロディーを1人が吹き、ほかの管が周りで別の線を吹く。ビッグバンドのように「セクションで同じ動き」をする前の形として聴くと、後の変化が分かりやすい。

    出典:[15] [16] [17]

  5. 1924〜

    フレッチャー・ヘンダーソン楽団と編曲者ドン・レッドマン

    ニューヨーク、ローズランド・ボールルーム
    掛け合い・リフソロ

    セクションどうしの掛け合い、ダンス楽団とソロの合流

    くわしく

    事実ローズランド・ボールルームを本拠にしたダンス楽団です。アームストロングが1924年の秋から1925年まで在籍しました[8][18]。編曲者のドン・レッドマンはサックスと金管のセクションを掛け合わせる書き方を使い、アームストロングの吹き方を楽団の譜面に取り入れたとされます[18]。テナー・サックスのコールマン・ホーキンスもこの楽団にいました[19]。のちにヘンダーソン自身の編曲を、ベニー・グッドマンの楽団が使います[20]。

    出典:[8] [18] [19] [20]

  6. 1925〜1931

    ウォルター・ペイジのブルー・デヴィルズ

    オクラホマシティ
    4ビートのリズム隊

    4拍を均等に歩くベース

    くわしく

    事実ベーシストのウォルター・ペイジが1925年から1931年まで率いた楽団で、のちのカウント・ベイシー(当時はビル・ベイシー)や歌手のジミー・ラッシングが在籍しました。ペイジは、4拍を均等に刻むウォーキング・ベースを早くからコントラバスで弾いた一人とされます[6][21]。

    出典:[6] [21]

  7. 1926年3月12日

    サヴォイ・ボールルームが開店

    ニューヨーク、ハーレム
    広まり方

    踊る人がいて、楽団どうしが競い合う場所

    くわしく

    事実1958年まで続いたハーレムの大きなダンスホール。黒人も白人も同じフロアで踊れた、早い時期の場所の一つとされます。リンディ・ホップというダンスがここで広まりました[72]。

    出典:[72]

  8. 1925〜1928

    ルイ・アームストロングのホット・ファイヴ「ウェスト・エンド・ブルース」

    シカゴ(OKeh)
    ソロ

    合奏の中から、1人のソロが前に出る

    くわしく

    事実アームストロングは自分の名前の小編成ホット・ファイヴで、1925年から1928年にかけてシカゴで録音しました。「ウェスト・エンド・ブルース」は1928年6月28日の録音で、ピアノはアール・ハインズです[22][23]。曲はオリヴァーの作曲で、オリヴァー自身も同じ年の6月11日に録音しています[23]。

    見立て冒頭の無伴奏のトランペットは拍から自由に吹く部分。そのあと楽団が入って拍に乗ってからの8分音符の跳ね方を、上の実験の比と比べながら聴くとおもしろい。

    出典:[22] [23]

  9. 1927〜

    ウェルマン・ブロード:エリントン楽団のコントラバス

    ニューヨーク
    4ビートのリズム隊

    低音がチューバからコントラバスへ

    くわしく

    事実エリントン楽団で最初の常任のコントラバス奏者です。指で弾く、弦をたたく(スラップ)、弓で弾くを使い分けました。多くのダンス楽団が低音をチューバからコントラバスに替えるきっかけの一つになったとされます[56]。

    出典:[56]

  10. 1927年12月4日〜

    デューク・エリントン楽団、コットン・クラブの専属に

    ニューヨーク、ハーレム
    掛け合い・リフ広まり方

    ラジオで楽団の音が全国に届く

    くわしく

    事実エリントン楽団は1927年12月4日からハーレムのコットン・クラブの専属楽団になり、1931年まで務めました(終わりの時期は資料によって違います)。クラブからのラジオ中継(1929年9月からはNBC)で全国に名前が知られました[24]。

    出典:[24]

  11. 1929〜1942

    アンディ・カーク楽団とメアリー・ルー・ウィリアムズ

    カンザスシティ
    掛け合い・リフ

    女性の編曲者が楽団の音を作った例

    くわしく

    事実カンザスシティを本拠にした楽団「クラウズ・オブ・ジョイ」。ピアノのメアリー・ルー・ウィリアムズが、1929年から1942年まで中心の作曲・編曲を担当しました[67]。

    出典:[67]

  12. 1929〜

    カサ・ロマ楽団「カサ・ロマ・ストンプ」

    トロントのクラブの名前から
    広まり方掛け合い・リフ

    若い白人の客にジャズのダンス楽団が広まる

    くわしく

    事実メンバーが共同で経営した楽団。1930年ごろには大学生のあいだで人気になりました。グッドマンより前に、速いジャズと甘いバラードを混ぜた演奏をしていたと言われる一方、合奏が機械的だという批判もあります[64]。

    出典:[64]

  13. 1931

    キャブ・キャロウェイ「ミニー・ザ・ムーチャー」

    ニューヨーク、コットン・クラブ
    広まり方

    客と掛け合う歌とショー

    くわしく

    事実エリントンのあとのコットン・クラブで人気を得た楽団のテーマ曲で、1931年に初めて録音されました。「ハイデホー」の掛け声は、クラブからのラジオ中継で歌詞を忘れたときに生まれた、とキャロウェイは自伝に書いています[70]。

    出典:[70]

  14. 1932年2月2日

    エリントン楽団「スイングしなけりゃ意味がない」

    ニューヨーク(ブランズウィック)
    「スイング」という言葉

    「リズムの感じ」を指す言葉として、すでに使われていた

    くわしく

    事実原題は “It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)”。歌はアイヴィ・アンダーソン、ソロはトロンボーンのジョー・ナントンとアルト・サックスのジョニー・ホッジスです[25][26]。「スイング時代」の始まりとよく言われる1935年より前に、「スイング」という言葉が曲名に入っています。

    出典:[25] [26]

  15. 1932年12月13日

    ベニー・モーテンのカンザスシティ楽団「モーテン・スイング」

    楽団はカンザスシティ/録音はニュージャージー州カムデン(ビクター)
    掛け合い・リフ4ビートのリズム隊「スイング」という言葉

    ブルー・デヴィルズの人たちが合流し、ベイシー楽団の原型になる

    くわしく

    事実お金に困っていた時期に、ビクターのカムデンのスタジオで1日に10曲を録音したうちの1曲です。モーテン本人は演奏しておらず、ピアノはベイシー、ベースはペイジです[27][28]。作曲者はモーテン兄弟と記されていますが、ベイシーは自分とエディ・ダーラムが書いたと述べています[27]。モーテンは1935年に亡くなり、ベイシーが独立します[29]。

    出典:[27] [28] [29]

  16. 1933〜1939

    ジミー・ランスフォード楽団と編曲者サイ・オリヴァー

    ニューヨーク
    掛け合い・リフ4ビートのリズム隊

    4ビート一色ではなかった。2ビートでも跳ねる楽団があった

    くわしく

    事実1933〜34年にコットン・クラブなどで人気を得ました。編曲者のサイ・オリヴァーは、4ビートではなく2ビートを生かした「ランスフォード・スタイル」を作ったとされます。「'Tain't What You Do」は1939年1月3日の録音です[63]。

    出典:[63]

  17. 1935年8月21日

    ベニー・グッドマン楽団、パロマー・ボールルーム

    ロサンゼルス
    広まり方掛け合い・リフ

    ヘンダーソンの譜面が、ラジオとダンスホールで全国のヒットになる

    くわしく

    事実グッドマン楽団は1935年7月1日、ヘンダーソンの編曲で「キング・ポーター・ストンプ」を録音しました(トランペットのソロはバニー・ベリガン)[20]。同じ年の夏の巡業は客の入りが悪かったものの、8月21日のロサンゼルスのパロマー・ボールルームで、ヘンダーソンらの編曲を演奏すると客席がわきました。この日がスイング時代の始まりとよく言われます[30][31]。ただ、これはあとから付けた区切りでもあり、流れはそれ以前からできていました[30]。

    出典:[20] [30] [31]

  18. 1936〜1937

    カウント・ベイシー楽団、リノ・クラブから東部へ。「ワン・オクロック・ジャンプ」

    カンザスシティ → ニューヨーク(デッカ)
    掛け合い・リフ広まり方ブルース

    リフを重ねる演奏、ブルースの形、4ビートのリズム隊が1つの楽団にそろう

    くわしく

    事実ベイシーの楽団はカンザスシティのリノ・クラブから、実験放送局 W9XBY で中継されていました。1936年にこの放送をシカゴで聞いたプロデューサーのジョン・ハモンドが楽団を東部へ呼び、13人ほどの編成に広げさせました[9][32]。曲名「ワン・オクロック・ジャンプ」はリノ・クラブの放送から来ているとされます。録音は1937年7月7日、ニューヨークのデッカ(Decca 1363)[33][34]。12小節のブルースで、サックス、トランペット、トロンボーンの順に短いリフが受け渡されていきます。各セクションがほかのセクションの音を聴いて自分のパートを決める「ヘッド・アレンジ」でできたとされます[33][52]。

    見立てリフが受け渡されていく所が聴きどころ。どのリフも短く、覚えて吹ける長さなのが分かる。④の「掛け合いとリフ」がそのまま曲の形になっている。

    出典:[9] [32] [33] [34] [52]

  19. 1937〜

    オール・アメリカン・リズム・セクション

    ベイシー楽団
    4ビートのリズム隊

    4ビートとハイハットの、完成形のひとつ

    くわしく

    事実ピアノのベイシー、ギターのフレディ・グリーン、ベースのウォルター・ペイジ、ドラムのジョー・ジョーンズの4人がこう呼ばれました[7]。ペイジが4拍を均等に支え、ジョーンズは拍を刻む役目をバスドラムからハイハットに移したとされます[7][35]。グリーンは1937年に加わり、4拍をギターのコードで刻みました[36]。

    見立てベースの人へ。ペイジの音は録音では小さいけれど、ギターと同じ4拍の上に乗っているのが聴こえると、自分の役割が見えてくる。ベイシー本人のピアノは音数が少なく、その分リズム隊の4拍がよく聴こえる。

    出典:[7] [35] [36]

  20. 1937年5月11日 / 1938年5月2日

    チック・ウェッブ楽団、サヴォイ・ボールルームの「バンド合戦」とエラ・フィッツジェラルド

    ニューヨーク、ハーレム
    4ビートのリズム隊広まり方

    踊る人の前で、楽団どうしが競い合う場

    くわしく

    事実ドラマーのチック・ウェッブが率いる楽団は、ハーレムのサヴォイ・ボールルームの看板でした。1937年5月11日、サヴォイでグッドマン楽団と演奏を競い、雑誌 Metronome は翌月「チック・ウェッブがベニー・グッドマンを破る」と書きました。集まった人数は資料によって大きく違います[37][38]。1938年5月2日には、歌手エラ・フィッツジェラルドと「ア・ティスケット・ア・タスケット」を録音しています(Decca 1840)[39]。

    出典:[37] [38] [39]

  21. 1937年7月6日 / 1938年1月16日

    グッドマン楽団「シング・シング・シング」とカーネギー・ホール

    録音はハリウッド(ビクター)/演奏会はニューヨーク
    4ビートのリズム隊広まり方

    ダンスの音楽が、演奏会場でも聴かれるものになる

    くわしく

    事実「シング・シング・シング」は1937年7月6日にハリウッドで録音され、12インチ盤の両面を使う8分43秒の演奏でした。ドラムはジーン・クルーパ、編曲はジミー・マンディです[40][41]。クルーパのタムの間奏は、商業録音された最初の長いドラム・ソロとされます[53]。1938年1月16日、グッドマン楽団はカーネギー・ホールで演奏会を開き、この曲を最後に演奏しました[42]。

    見立てドラムのタムの繰り返しが曲の土台になり、その上に管のリフやソロが乗っていく。リズム隊が伴奏の役から前に出てくる曲として聴ける。

    出典:[40] [41] [42] [53]

  22. 1938

    アーティ・ショウ「ビギン・ザ・ビギン」とビリー・ホリデイ

    ニューヨーク
    広まり方

    人気の裏にあった人種の壁

    くわしく

    事実1938年7月に録音した「ビギン・ザ・ビギン」が大ヒットしました。同じ年、歌手のビリー・ホリデイを楽団に迎えます。白人の楽団が黒人の女性歌手を専属にして南部を回った最初の例とされますが、巡業先での差別もあり、数か月で去りました[65]。

    出典:[65]

  23. 1939ごろ〜

    ケニー・クラーク:ライド・シンバルで刻む

    ニューヨーク
    4ビートのリズム隊次の時代へ

    ドラムの「刻む場所」がハイハットからライドへ

    くわしく

    事実速い曲でバスドラムが追いつかなくなり、拍をライド・シンバルで刻み、バスドラムとスネアは不規則なアクセント(「ボム」)に使うようになった、と伝えられています。踊りにくいと言われて一度は楽団をやめさせられ、のちにミントンズの専属になりました[62]。

    出典:[62]

  24. 1939年8月1日

    グレン・ミラー楽団「イン・ザ・ムード」

    ニューヨーク(ブルーバード)
    掛け合い・リフ広まり方

    短いリフの繰り返しでできた曲が、大きなヒットになる

    くわしく

    事実1939年8月1日に録音され、9月15日に Bluebird B-10416 として発売されました。レーベルにはジョー・ガーランドが作曲者として載っています。ガーランドの編曲は、前の年にエドガー・ヘイズ楽団が先に録音していました[43][44]。

    見立てサックスのリフが何度も繰り返され、セクションの掛け合いで進む。④の「掛け合いとリフ」を一番分かりやすく聴ける曲のひとつ。

    出典:[43] [44]

  25. 1939年9月5日

    レスター・ヤング「レスター・リープス・イン」

    ニューヨーク(ベイシーの小編成カンザスシティ・セブン)
    ソロ

    ビッグバンドのソロイストが、小編成で長く前に出る

    くわしく

    事実ベイシー楽団のテナー・サックス奏者レスター・ヤングの曲で、ベイシーの小編成カンザスシティ・セブンが録音しました(Vocalion 5118)。「アイ・ガット・リズム」と同じコード進行でできています[45]。

    出典:[45]

  26. 1939年9月〜

    チャーリー・クリスチャン:エレキギターでソロを弾く

    グッドマン楽団
    ソロ4ビートのリズム隊次の時代へ

    ギターが、リズムを刻む楽器からソロもとる楽器へ

    くわしく

    事実1936年に出たギブソンのエレキギター ES-150 を使い、1939年9月にグッドマンの小編成に加わりました。それまで伴奏の楽器だったギターで、管楽器のようにソロを弾きました[59][60]。

    出典:[59] [60]

  27. 1939年10月11日

    コールマン・ホーキンス「ボディ・アンド・ソウル」

    ニューヨーク(ブルーバード)
    ソロ次の時代へ

    メロディーよりコード進行の上で組み立てるソロへ

    くわしく

    事実2コーラスのテナー・サックスのソロで、元のメロディーがはっきり分かるのは最初の4小節ほどです。のちのビバップの先触れと言われることがあります[19][46]。

    出典:[19] [46]

  28. 1939年末〜1941

    ジミー・ブラントン:ベースでソロを弾く

    エリントン楽団
    4ビートのリズム隊ソロ

    ベースが、支える楽器から歌う楽器へ

    くわしく

    事実1939年末にエリントンに見いだされて入団。それまでのウォーキングの枠を超え、管楽器のようなフレーズでソロを弾きました。「ジャック・ザ・ベア」や、エリントンとのピアノ・ベースの二重奏で知られます。1942年に23歳で亡くなりましたが、レイ・ブラウンやチャールズ・ミンガスら次の世代に大きな影響を与えました[57][89]。

    出典:[57] [89]

  29. 1940年代はじめ

    ミントンズ・プレイハウスのジャム・セッション

    ニューヨーク、ハーレム
    次の時代へ

    大編成で踊る音楽から、小編成で聴く音楽へ

    くわしく

    事実1938年に開いたこの店で、1940年代のはじめにセロニアス・モンク、ケニー・クラーク、チャーリー・クリスチャン(当時グッドマン楽団のギタリスト)、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーらがジャム・セッションをし、ビバップが形になっていきました[47]。

    出典:[47]

  30. 1941年2月15日

    エリントン楽団「A列車で行こう」

    ハリウッド(ビクター)
    掛け合い・リフ

    楽団のテーマ曲として、いまも演奏され続けている

    くわしく

    事実ビリー・ストレイホーンの作曲で、エリントン楽団が1941年2月15日に録音しました(Victor 27380)。トランペットのソロはレイ・ナンスです[48][49]。

    出典:[48] [49]

  31. 1941年4月30日

    ジェイ・マクシャン楽団「フーティー・ブルース」

    カンザスシティの楽団/録音はダラス(デッカ)
    ソロブルース次の時代へ

    カンザスシティのブルースから、ビバップの主役が出てくる

    くわしく

    事実カンザスシティの楽団の録音で、19歳のチャーリー・パーカーのソロが入っています。パーカーの才能を初めて記録した録音とされます[68]。

    出典:[68]

  32. 1942年5月26日

    ライオネル・ハンプトン楽団「フライング・ホーム」

    ニューヨーク
    ソロ広まり方次の時代へ

    スイングの楽団から、R&B へ

    くわしく

    事実グッドマンの小編成で1939年に初めて録音された曲を、ハンプトンが自分の楽団で録り直しました。19歳のイリノイ・ジャケーのテナー・サックスのソロが評判になり、のちのリズム・アンド・ブルースにつながったとされます[69]。

    出典:[69]

  33. 1942年8月1日〜1944年11月

    音楽家組合によるレコード録音の中止

    アメリカ全土
    次の時代へ広まり方

    ビバップの始まりの時期が、レコードに残りにくかった

    くわしく

    事実アメリカ音楽家連盟が1942年8月1日から組合員の録音を止めました。デッカは1943年9月に、ビクターとコロンビアは1944年11月に組合と合意しています[50]。この間、パーカーとガレスピーがいたアール・ハインズ楽団の演奏は、レコードとしては残りませんでした[51]。

    出典:[50] [51]

  34. 1944〜

    キャバレー税:踊れる店に高い税

    アメリカ全土
    次の時代へ広まり方

    大編成で踊る音楽から、小編成で聴く音楽へ

    くわしく

    事実ダンスができる店に30%(のちに20%)の税がかかり、多くの店がダンスフロアをやめました。演奏だけの店は対象外だったため、小さな編成の方が雇いやすくなりました。徴兵で楽団の人手が減ったことも重なります。ただ、ビッグバンドが減った理由はこれだけではない、という見方もあります[74][75]。

    出典:[74] [75]

代表曲を聴く

地図に出てくる録音を年代順に並べました。音源はここには置かず、YouTube と Apple Music の検索結果へリンクしています(同じ曲の別の録音が出てくることがあるので、演奏者と年を確かめてください)。↗ を押すと、その曲の説明に飛びます。

年曲と演奏聴く
1899(楽譜)Maple Leaf Rag
スコット・ジョプリン作
左手の刻みと右手のずれ ↗
YouTubeApple Music
1925St. Louis Blues
ベッシー・スミス(コルネット:ルイ・アームストロング)
ブルースの形 ↗
YouTubeApple Music
1923Dippermouth Blues
キング・オリヴァーのクレオール・ジャズ・バンド
全員が同時に即興する ↗
YouTubeApple Music
1928West End Blues
ルイ・アームストロング
冒頭のトランペット ↗
YouTubeApple Music
1931Minnie the Moocher
キャブ・キャロウェイ
客との掛け合い ↗
YouTubeApple Music
1932It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)
デューク・エリントン
曲名に「スイング」 ↗
YouTubeApple Music
1932Moten Swing
ベニー・モーテン
ピアノはベイシー、ベースはペイジ ↗
YouTubeApple Music
1935King Porter Stomp
ベニー・グッドマン
ヘンダーソンの編曲 ↗
YouTubeApple Music
1937One O'Clock Jump
カウント・ベイシー
リフの受け渡し ↗
YouTubeApple Music
1937Sing, Sing, Sing
ベニー・グッドマン
クルーパのタム ↗
YouTubeApple Music
1938A-Tisket, A-Tasket
チック・ウェッブ(歌:エラ・フィッツジェラルド)
サヴォイの看板楽団 ↗
YouTubeApple Music
1938Begin the Beguine
アーティ・ショウ
大ヒット曲 ↗
YouTubeApple Music
1939'Tain't What You Do (It's the Way That You Do It)
ジミー・ランスフォード
2ビートのノリ ↗
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1939In the Mood
グレン・ミラー
サックスのリフ ↗
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1939Lester Leaps In
カウント・ベイシーのカンザスシティ・セブン
レスター・ヤングのソロ ↗
YouTubeApple Music
1939Body and Soul
コールマン・ホーキンス
コードの上で組み立てるソロ ↗
YouTubeApple Music
1940Jack the Bear
デューク・エリントン(ベース:ジミー・ブラントン)
ベースが前に出る ↗
YouTubeApple Music
1941Take the "A" Train
デューク・エリントン
楽団のテーマ曲 ↗
YouTubeApple Music
1941Hootie Blues
ジェイ・マクシャン(アルト:チャーリー・パーカー)
19歳のパーカー ↗
YouTubeApple Music
1942Flying Home
ライオネル・ハンプトン
ジャケーのテナー ↗
YouTubeApple Music
1955April in Paris
カウント・ベイシー
「もう一回」のエンディング ↗
YouTubeApple Music
1957Li'l Darlin'
カウント・ベイシー
ニール・ヘフティの作曲・編曲 ↗
YouTubeApple Music

映像で見る

YouTube の映像は投稿者が公開しているもので、公式のものではない場合があります。

Route4 で演奏した曲とつなぐ

部の演奏会で取り上げた曲を、この地図のどの点につながるかで並べる予定です。演奏会の曲目を集めているところなので、まだ載せていません。

載せる曲は、作曲者・編曲者・元の録音の年を確かめてから足します。部の曲目に心当たりのある人は、部内で教えてください。

スイング時代の後

事実ブリタニカは、様式としてのスイングの時代を1940年代半ばまでとしています[1]。ジャズの新しい動きは、ミントンズのような小さな店での小編成の演奏(ビバップ)に移っていきました[47]。それでもビッグバンドがなくなったわけではありません。

  1. 1942〜44音楽家組合の録音禁止のあいだ、ビバップの初期の演奏はほとんど録音されなかった。最初の正式な録音は1944年、小さなレーベルから出た[92]
  2. 1946年2月ディジー・ガレスピーのビバップ寄りのビッグバンドが、RCAブルーバードに録音する。ビリー・エクスタイン楽団の形を引いている[92]
  3. 1946年3月ウディ・ハーマン楽団が、ストラヴィンスキーが頼まれて書いた「エボニー協奏曲」をカーネギー・ホールで演奏する[95]
  4. 1946〜48スタン・ケントン楽団。1946年にアルバム『アーティストリー・イン・リズム』を出し、金管の厚い音が「音の壁」と呼ばれた。1947年9月から48年12月までは「プログレッシブ・ジャズ」の楽団として演奏した[94]
  5. 1947ガレスピーの楽団に、コンガのチャノ・ポソが加わる。マリオ・バウサが2人を引き合わせた[93]。12月27日、ハーマン楽団が「フォー・ブラザーズ」を録音する。書いたのはジミー・ジュフリーで、サックス4人(ズート・シムズ、サージ・チャロフ、ハービー・スチュワード、スタン・ゲッツ)が聴かせどころ[95]
  6. 1950ケントンが、弦楽器16人を含む39人の楽団を作る。商業的には失敗し、翌年に19人の普通の編成へ戻した[94]
  7. 1952ベイシーが16人編成の楽団を作り直す。戦後、いったん小編成で演奏していた[96]。同じ年、原信夫がシャープス・アンド・フラッツの率い手になる。楽団は1980年代まで続き、ニューポート・ジャズ・フェスティバルにも出た[97]
  8. 1952〜53エレキベースがジャズに入る。モンク・モンゴメリーがハンプトン楽団で弾いた[58]
  9. 1950年代ベイシー楽団の「新約聖書(ニュー・テスタメント)」バンド。ニール・ヘフティらの編曲で、引き締まった音になる[76]
  10. 1955ベイシー楽団「エイプリル・イン・パリ」。ワイルド・ビル・デイヴィス編曲。最後の「もう一回(One more time)」の繰り返しで知られ、楽団最大のヒットになった[77]
  11. 1956年7月ニューポート・ジャズ・フェスティバルで、エリントン楽団のポール・ゴンザルヴェスが27コーラスのテナー・ソロを吹く。ふだんは静かな客席が立ち上がって通路で踊り、エリントンの勢いが戻るきっかけになった。11月にコロンビアからアルバムが出た(ただし1996年に見つかったテープから、発売盤で本番の録音は約4割と分かっている)[98]。同じ年、ガレスピーが国務省の中東公演のためのバンドを作り、「ジャズの大使」と呼ばれた[93]
  12. 1957アルバム『ジ・アトミック・ミスター・ベイシー』を録音。ヘフティの「リル・ダーリン」が初めて録音された[76][78]
  13. 1966年2月サド・ジョーンズ(トランペット)とメル・ルイス(ドラム)の楽団が、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで毎週月曜の演奏を始める。1978年からメル・ルイス・ジャズ・オーケストラ、ルイスの死後の1990年からヴァンガード・ジャズ・オーケストラと名前を変えて続く[99]
  14. 1970〜日本で、山野楽器の学生ビッグバンドの大会(YAMANO BIG BAND JAZZ CONTEST)が始まる。毎年およそ40校が出場し、第5回からコンテストの形になった[79][80]
  15. 19733月、穐吉敏子とルー・タバキンが、ロサンゼルスで16人編成のビッグバンドを作る。1974年録音のアルバム『孤軍』は、戦後も30年近く戦い続けた日本兵の話をもとにしている。楽団は2003年12月29日、ニューヨークのバードランドで最後の演奏をした[100]

事実ビバップでは、ドラムが拍の刻みをライド・シンバルに移し、バス・ドラムは「爆弾(ボム)」と呼ばれる強調に回りました。ベースは歩くように一定に弾くウォーキング・ベースを受け持ちました[92]。小さな編成で、リズム隊が「刻む」役から「ソロに返事をする」役にも広がった時期です。

事実1940年代の半ばには、戦時中の人手不足、録音禁止、歌手が独立したことなどが重なり、多くのスイング楽団が解散しました[101]。そのあとのビッグバンドは、ケントンのように新しい曲を書かせる楽団、ベイシーやエリントンのように続いた楽団、ガレスピーやハーマンのようにビバップや現代音楽を取り入れた楽団、というふうに分かれていきます[101]。

見立て部で演奏するビッグバンドの譜面の多くは、この戦後のベイシー楽団の流れの上にあります。スイングの「リズムの感じ」は、時代が終わっても受け継がれています。ベイシーとエリントンが同じ年代に「続いた」のに対し、ほかの楽団は新しい音を探しました。部の曲目を、「続いた側」か「新しい音を探した側」か、という目でも分けて見られます。

出典

2026年10月26日に確認(56番以降は同じ日に追加。92番以降は10月27日に追加)。録音日は、できるだけカリフォルニア大学サンタバーバラ校の録音目録(DAHR)で確かめました。資料によって日付が違うものは本文に書いています。

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  3. Honing, H. & Haas, W. B. de (2008). Swing once more: Relating timing and tempo in expert jazz drumming. Music Perception, 25(5)(Friberg & Sundström の結果の要約を含む). mcg.uva.nl(PDF)
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